「豊かな子育て」の原点

初めての子育ての始まりは想像の域を超えていた。

娘が生まれた年、夫は仕事に忙しく帰宅できない日が続いた。私と娘の母子二人で過ごす時間はあまりにも長く感じられた。毎日抱っこ、授乳の繰り返しで泣き続ける乳児を相手に自分の食事は疎か、水が飲みたい、トイレに行きたいなどの最低限の欲求も満たされない。寝不足も続き心と身体はボロボロだった。夫が帰宅し自分以外にも娘の保護者がいると思うと、その日は体の中にピーンと張り詰めていた緊張線がシュルシュルと緩まっていく。そして翌日、日曜日の昼過ぎ。また仕事に出て行く夫を玄関まで見送る。半分開いた玄関の扉、その扉が閉まったらまた母子二人の生活に戻る。またあの生活が始まる。「(娘の)お風呂に入れてから行ったら?」とか「あと5分ゆっくりしてから行ったら?」と夫を引き止める言葉を飲み込み「じゃあね。」と言って扉を閉めると、育児の負担から言葉にならない思いが込み上げ涙をこらえられなくなる。

いつも母子二人でいたから私からずっと離れられなかった娘。そんな娘ももうすぐ3歳になる。最近はよく保育園の一時保育にお世話になっている。興味の幅もどんどん広がっている。いいところをたくさん褒めてくれる先生を大好きになった。私以外の人も信用できるようになった。泣かずに登園もできるようになった。保育園に向かう車の中でさえ楽しい時間になった。私も少し心の余裕ができた。

独身時代、私はよく海外を一人旅していた。

「ねえ、僕、コレクションで色んな国のコインを集めてるの。君の国のコインちょーだい!どこの国から来たの?」と言ってくる現地のチビッコがいた。それも色んな国で。決まりきったフレーズ。集めたコインは売るか、他の旅行者から現地通貨と交換する。きっと大人が教えた技。

「私ね、ニハリカって国から来たんだよ。ニハリカでは全てリンゴで物を買うの。だからコインは誰も持ってないんだよ。」と私の冗談に子どもたちは興味津々。

「へぇ~。」「ねえ、その国どこにあるの?」「きいたことないよ。」「何でリンゴなの?」「オレンジでも何か買える?」「バナナは?」「今リンゴ持ってる?」

明らかにコインをせがむ時の目より、ニハリカに興味を示した時の目のほうがキラキラしていた。

興味のある遊びに夢中になった時のキラキラした目。
全力で笑うキラキラした目。
屈託のないキラキラした子どもの目。

そう、娘の目もキラキラしている。今でこそできたほんの少しの心の余裕がそのキラキラに気付く。

思えば初めて高熱を出した日、突然嘔吐した夜、いつもより泣き続ける日、風邪をひいて鼻が詰まるとちゃんと呼吸をしているのか何度も夜中に確かめたり・・・実家も遠く頼れる人もいなかったため、何かあったらこの子は自分一人で何とかしなくてはいけないという「責任」を感じていたあの日々。そんな日々を今そっと振り返る。

時間通りに毎日をすすめなくてもいい。本気で遊ぶ娘のキラキラ時間にもう少し付き合っていよう、そう思って私は家事をする手をとめた。きっと子育てはいつもでこぼこ道。いろんな悩みもあるけれど、いま目の前で見せてくれるこのキラキラを守り続けていくことが「豊かな子育て」の原点なのかもしれない。

記 3歳5か月の娘さんの母より

子育てコラム一覧